ともこ(タントラヨガ講座一年目)

「赦し」は人に対してだけでなく社会的な事に対する怒りや悲しみにもできるのでしょうか。

赦しについて質問です。
講座の中で行った「赦しのワーク」は自分のパーソナルな場所にいる人に対してはかなり効果ありそうなのですが、社会的な事に対する怒りや悲しみも同じ様なワークでOKでしょうか?

例えば、畜産に対する悪意ある関係者に対する怒りや絶望のようなもの、コロナ関係の混乱に対する絶望や戸惑いの怒りの様なものもは、このワークでどのようにすればよろしいですか?

(Kaiho: ) 短く言えば、はい、個人と同じく社会も同じく赦すことがとても有意義なプラクティスだ。

社会に対して恨みを持つことは個人に対して恨みを持つのと同じだから、
その恨みから自由になる薬は赦しだ。

でも確かに、自分の知っている誰かを赦すより、社会を赦す方が難しかったりする。
その実際の人達との距離感が大きいし、彼らと共感したり、慈悲を持ったりすることが難しいけど、
やり方は個人を赦すのと同じだ。

そしてこの場合も、赦しは特に自分を自由にするという効果が一番強い。
でも社会をいい方向に向かっていかせるための一つの刺激にもなる。

社会を赦すための助けになる考え:

皆は自分なりに頑張っていると理解する。悪いことをやっている人々もいるけど、彼らにとってそれは必要な段階だ。そして人を苦しませる行為だったら、彼らは必ず償う必要が生じる。自分の恨みがその人に間違いを気づかせるには一つも助けにはならない。その人を赦して、恨みを手放す方がその人がいい方向に動いていくサポートになるんだ。恨みにしがみつくことは問題の一部になるという行為だ。
簡単ではないが、本当にその人を助ける、世界を助けるには赦しが恨みよりずっとずっと効率的だと理解すれば、赦しはずっとやりやすくなる。

問題は、個人に対する恨みと同じく、「恨みを手放せばこの問題がずっとかわらない。恨みを手放せば、その人は値する罰を受けないだろう」という思い込みだ。これは100%間違っている。
エゴにとって恨みを持つことは当たり前だけど、これは大きな幻だ。

世界に酷いことが行われていることには悲しみや怒りを持つことは自然だと思うけど、アナハタチャクラが目覚めたら、そういった感情を感じても、恨みに変えることのない道も現れる。
例えば、畜産の例を使えば、多くの動物たちが毎日苦しんでいることは、私も悲しみと怒りを感じている。でも、恨みを持つことにも意味がないと理解している。赦しと愛を持った方がずっと大きい変容の力をもたらす。世界に恨みが増幅されれば、その動物たちがずっと助からないけど、世界に愛と赦しが大きく増幅していけば、苦しまなきゃならない動物たちの数は徐々に少なくなるに違いない。
愛と赦しは波動のように広がる大きな力だから。

何か社会の状況を変えることは自分の使命なのかもしれない、または自分の使命は全然違う方向なのかもしれない。社会の全ての問題を解決することは一人の存在の使命ではない。
でも、社会の何かを変えることが自分の使命であれば、実際世界を変えるために、恨みから変えるなら新しい問題が起きるに違いない。解決は一時的なものになる。
愛から世界を変えると、解決は本当の変化になる。

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